2008年上海アートフェア 4/16〜20



● 中国美術事情 2008年7月 上海編「数霊」

いつもながら、記憶として とどめるには取るに足らない話ではあるが、上海の富裕層は8月のオリンピック期間は一切北京には近づかないという話を聞いて、私も8月は一切中国には行かないことにした。
いまどきの上海事情を垣間見て、今回改めて感じたものだ。
人民広場の前に上海レディスンニューワールドホテルがある。日本読みだと上海ラジソンホテル。中国語だと上海新世界大酒店だ。そのホテルの一室で夜はどこに食事に行こうか、何をしようか、はてさて何か面白いことはないものか。そうだ!銀座でクラブをやっているママ(といってももともと男なのだけれども、いつもきちんと日本髪を結って着物を着ているママさん)が上海に店を出したって言う案内状が来ていた。確か、名刺があったはずだが。そうだ、7月はじめにオープンしているはずだと思って電話をしてみた。
ボーイさんが出て、「事情により今日は休み」だという、何かへンだ。私は名前を名乗りママを呼び出して話を聞いた。すると店に公安が来てオリンピックが終わるまで店を開けるな、と言われたそうだ。
オリンピックの景気を見込んでオープンしたのかもしれないのに、オリンピックが終わるまで店をオープンを許可しない。何もするなとは、いかにも中国共産党の政治的オリンピック開催の匂いがする。
6月5日にS先生の講演で聞いた話がよみがえった。S先生はかつて公安調査部長として旧ソ連、北朝鮮、中国などの情報分析に当てられた方なので、話を聞きだすと、もう面白くて面白くて夢中になってしまう。これを読んでる皆さんにそっとお教えしましょう。中国には昔から数霊(霊魂?)というのがあって、8は中国では幸せの数字である。
オリンピックの開催日が2008年8月8日である。
8の数字がどれだけすばらしいかよくわかる。それが今年に入って異変がおきている。
1月25日 大雪 1+2+5=8
3月14日 チベット内乱 3+1+4=8
5月12日 大地震 5+1+2=8
全てが8で収まる。
幸運な8が今年の中国にとっては凶と出ている。はたして8月8日のオリンピックで何が起きるのか皆、戦々恐々としているのだそうだ。
過去を振り返ると1936年のドイツオリンピックはヒットラー率いるナチス絶頂期のオリンピック。それが9年後に崩壊。
1980年のモスクワオリンピックはソ連連邦率いる共産国絶頂期のオリンピックである。それが9年後に崩壊。
2008年の北京オリンピックは中国一党独裁の最大のオリンピックである。果たして中国共産党が9年後に崩壊するのか、あと10年長生きして見守りたいところである。
近未来におきる世界戦争は、水の紛争戦だ。水の紛争戦になる源はチベットに発するベトナムのメコン河、インドのガンジス河、インダス河やラオス、タイ、パキスタンに至るまでのほとんどの河の源はチベットだそうだ。チベットを制するものは水を制する。中国が中国領土であるチベットをダムで埋め尽くしたらどうなるだろう。だんだん話が怖くなるからこの辺で。


● 中国美術事情 2008年7月 上海編

上海の中心部にある人民広場は元上海競馬場の跡地だそうだ。
上海競馬場といえば、戦前の話になるが私の母の祖父はよくこの競馬場に遊びに来ていたらしい。日本で医者をしていた祖父は休養と称して、年に2・3回上海に来ていたそうだ。当時のことだからきっと神戸あたりからの船旅だったんだろう。戦前の日本は今よりずっと余裕のある世の中だったに違いない。
その中にある黒々とした古びた塔のあるレンガ造りの建物が上海美術館である。美術館になる前が上海図書館であり、またその以前は上海競馬場を管理する建物だったそうだ。
ちょうど西洋美術展をやっていたので覗いてみることにした。受付で20元(300円)を払い、中に入ってみた。天井は高いし照明の当て方もいい。ただ展示されてた作品は18世紀の肖像画や宗教画で埋め尽くされ、何もしゃべる気も起こらない。
出口近くにモネ2点、ピサロ4点、ルノアール3点、ロートレック1点があったが、レプリカにしか見えない様な会場風景であった。
人民広場には老若男女が集う。恋人たちが池のわきで食事をしていたり、親子連れが子供とじゃれあっていた。何だろうと思ったのは年配の男女がずらっと石垣にもたれかけ、その場には一人一人の年齢や名前が書いてある紙がおかれていた。あまりに大勢で私はそそくさとその場を離れたのでいまだにあれは何かわからない。
ここにはオリンピックも四川省大地震もチベット内乱も何もないのどかな平和な夏の強い日差しがあるだけだった。


● 中国美術事情 2008年7月 上海編

ヒャー。今日のタクシーの運ちゃんは怖かったよ。
右に左にと車と車の隙間を割り込みながら抜いていくんだ。
後ろの席で読めないSHANGHAIデリー新聞を必死で見ながら祈っていたよ。
こんな運転手にあうといつも思う。昔の私の運転にそっくりだなぁ。後ろに乗せた人が降りるときによく言っていたな。「いやぁ、運転うまいですねぇ」って。ありゃぁ今思うと無事に車から降りられてホッとした気分が言わせた言葉だったんだて。
いやぁ、若気の至りとはこのこと。気はずかしいったらありゃしない。還暦すぎたんだから気をつけないと。車の運転とゴルフは性格が出るっていうから、お互いにね。
というわけで、無事、虹橋(ホンチャオ)空港についた。上海は虹橋と浦東の二ヶ所に空港があり、羽田=虹橋、成田=浦東の便がほとんどだ。上海の中心部から虹橋までが15Km、浦東までは35Kmあるので羽田=虹橋便だとまるで沖縄に行くのとなんら変わりない便利さだ。
ところが、今日はちょっと様子が変だ。
空港のビルの入口を大勢の人が列をなして動く様子がない。「これはまいったぞう」普段はタクシーは空港出発便の2階入口まで行くのだが、今日は2階は制限されてタクシーは1階の到着便の入口よりかなり離れたところで降ろされた。降ろされた場所がどの辺なのかすぐ確認できたのでバッグを引いて早足で歩いた。この場所がいつもタクシーを乗る為に並ぶ所だから空港ビルの入口はすぐわかった。
いつも逆に歩いているもんだkらタクシー乗り場の係員が大声で私を指差して「こっちだ、こっちだ」と言っている。「うるさい、私はこれから出発するんだ。日本に帰るんだよ。」と心の中で叫びながら無視をする。それどころではない、この行列の最後尾に並んだら一時間やそころはかかる。まだ朝飯も食っていないし、熱射病にでもなったらどうするの。
ビルの入口は2〜3箇所は必ずあるはずだ。向こうに見える入口は少しはましだ。制服を着た乗務員専用入口なんだろうか、ともかくまじるに限る。いくらまわりから変な目で見られようと突撃あるのみだ。厳戒態勢に入ったのかとても厳しい。空港ビルに入る為にひとつのグループにされて、金属探知機みたいなものがすべてチェックされる。何をチェックしているのか、私のいたグループは何かわからぬ探知機には反応が出ず、無事開放された。
今は、朝の7時過ぎだ。出発までにまだ一時間半ある。出国カウンターもまだ2〜3人待ちですぐにパスできた。これで気分よく朝食がとれる。ここまでくれば東京に着いたも同然という気分になってくる。